
友人と会って美味しいものを食べたり、おしゃべりを楽しみますか?
それとも家でゆっくり過ごして体力と気力を温存する感じでしょうか?
私はどちらかと言うと後者です。
誰にも気を使わずに、好きなだけ自分の好きなことをしていたいです。
でもずっとそうだったわけじゃなくて、コロナが流行した2020年を境に変わったんです。
それまでは仲間がいることや集まりに参加することに何の疑問もなく、むしろ必要なことだと思ってました。
楽しい時期もありましたし。
でもだんだんそこに行くことが重荷になってきました。
私の場合は趣味の集まりでしたけど、年月が経つにつれて、ちゃんとした理由がない限り集まらないといけない雰囲気、仲良く見られないといけない感じ、集まったことをSNS投稿されるなど、断れば空気を乱して陰口を言われるような場に変わっていったんです。
ね、疲れるでしょう?(笑)
当時は仲良しと呼べる人たちがそこにしかいなかったから、1人になるのは怖くて抜け出せなかったんです。
でもその仲間と会って家に帰ると、すごく消耗して疲れていた自分に気づいてました。
抜け出したい気持ちもあったけど、後悔しないか、陰口を言われるんじゃないか、1人になってしまう‥そんなことを気にして決断できずにいたんです。
そんな時にコロナの流行が起きました。
規制によって人と会わなくなることは残念のようでもありましたが、私はあの仲間と会わなくなることにホッとしていたんです。
これは強制終了なんだ、と思いました。
仲間の1人が「今後はzoomで集まろう」と言ってきたのですが、そんな気は起きませんでした。
ここでの学びは終わった、そんな気分でした。
もう2度と会わないと思うと、仲間を抜けることを伝えられました。
その後何度も引き戻すための連絡をもらったのですが、もうそこにいる自分が好きではなかったし、違う場所に行きたかったので気持ちは揺らぎませんでした。
いざ1人になってみると、最初こそ何したらいいんだろう?とか、私ってひどい奴かも、といろんなことを考えたんですけど、何より驚いたのは、1人になったことの快適さでした。
気楽で、自由で、自分らしくいられて、時間もお金も無駄なことに使わない感じ。
さみしさは全くなくて、むしろ自分を大切にしている実感があります。
それまで自分のことを好きになれなかったのに、私って悪くないかも?とも思うようになりました。
今思えばですが、あの仲間といる時、私は頼まれてもいない気を使い、自分をないがしろにして、人のためにばかり心を割いていたように思います。
その自分が好きじゃなかったんだなって分かりました。
その後新たに友人と呼べる人はまだいませんが、きっと必要なタイミングで出会うのだろうと考えています。
今、元気がほしい時、私には家族、猫、推し、多肉植物、チョコレート、ヨガ、その他私が私らしさをチャージできるものに囲まれています。
刺激的なことはそんなにないけど、どうやら私は安全、安心のほうが心が満たされるようです。
いろんな人がいますから、それぞれのパワーチャージ法がありますよね。
おもしろそうなのでぜひ聞いてみたいです。
それではまた☺︎
mako
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